復刻特典「かくりよの宿飯」アフターストーリー
葵、大旦那様の看病をする。
私の名前は津場木葵。
それは、私が現世の大学に復帰した年の、秋のこと。
週末の連休に天神屋へ戻ろうと、いつもの通りあの神社へと向かったのだが……
「え?? 大旦那様が……病気!?」
迎えにきたのが銀次さんだったので驚いていたのだが、大旦那様が病気であると知らされ、青ざめた。
「それって、どんな……っ」
「ご、ご安心ください。病気といっても、あやかし特有の風邪のようなもので、二、三日もすれば治ります。しかしすぐ感染してしまうため、あやかしは近づけないのです。ただ、人間にはこの病はうつらないとかで……」
「なるほど。要するに、私に看病をして欲しいということね」
「ええ、御察しの通りで。せっかく葵さんが現世から帰ってきているのにと、大旦那様は酷くしょげていらっしゃいますから。食事も喉を通らないほどです。愛妻の手料理なら食べられるかもしれない、とおっしゃっていますけれど」
銀次さんは私をチラッと見て、笑顔で「よろしくお願いしますね」と言った。
私はまんまと「勿論よ!」と頷く。
そして天神屋に着くやいなや夕がおの厨房に向かい、大旦那様の食べられそうなものをこしらえたのだった。
「大旦那様、入るわよ」
大旦那様の執務室に入ると、中央に敷かれた大きな布団の中で寝込む大旦那様が。ゲホゲホと咳き込み、顔も赤い。弱々しく、哀れな姿だ。
「葵……かい?」
「大旦那様、私よ。帰ってきたわ。あやかしの風邪を引いてしまったんですって? 季節の変わり目は気をつけなくちゃダメよ。……気分はどう?」
「気分は……最悪だ。僕が、僕が葵を迎えに行きたかったのに……っ」
「ああ、そういうやつ」
ううう、と泣く大旦那様。私は呆れつつも、クスッと笑う。
大旦那様らしさは健在だ。
「確かに、大旦那様がお迎えに来なかったからびっくりしたけれど、病気なら寝てないと。早く治してもらいたくて、私、卵のおかゆを作ってきたのよ。食べられそう?」
「何、卵のおかゆ!?」
さっきまで布団を被っていじけてたくせに、その布団をパッと下げてキラキラした顔を見せる大旦那様。だけどすぐに、ゲホゲホとむせる。
「だ、大丈夫!?」
「ああ。……すまないね、もう大丈夫だ」
そしてゆっくりと起き上がる大旦那様。私もそれを支えてあげた。
弱々しい大旦那様の姿に、少し心配になる。食べさせてくれないと死んでしまうかも、とかぼやいてるし。
……仕方がないか。大旦那様風邪だし。
小さな土鍋の蓋を開くと、鳥だしの香りがふわりと漂う。
シンプルな溶き卵を回し入れただけのおかゆだ。小皿に入れていた小口ネギをかけ、取り皿にとる。
「いい匂いだ……お腹すいた」
「簡単なおかゆだけどね。ふうふう。……ほら、あーん」
冷ましてから、大旦那様の口にれんげを運ぶ。
大旦那様はゆっくりと口を開けて、それをパクリ。もぐもぐ。
もっと食べるというので、もう一口運んで……パクリ。もぐもぐ。
あれ。なんだろう。弱々しくも私のおかゆを食べる大旦那様に、なぜか胸がときめく。
いや、病気で苦しんでる大旦那様にそんな……っ、とか思いながらも。
まるでそれは、守ってあげなくちゃいけない小さな子どもみたいで。
そういえば、大旦那様にお世話になることは多々あったけれど、こんな風に大旦那様のお世話をすることは、今までほとんどなかったなあ。
「ありがとう葵。とても美味しかったよ」
「あ……っ、もう食べちゃったのね。そうそう、薬飲まなくちゃ。静奈ちゃんにもらったんだった」
私は慌てて薬を渡す。粉薬を水で流し込む大旦那様。
苦いのか渋い顔をしていたが、そのうちにホッと一息ついて、そのまま布団の上に体を横たえた。
「大丈夫? 大旦那様」
「大丈夫だ。そう心配するな、葵。お前の料理を食べ、薬も飲んだし、もう一眠りすればすぐによくなるさ」
心配して顔を覗き込む私の頬に、大旦那様は手を伸ばした。
熱い手だ。顔には出さないけれど、きっと凄く辛いのだろうな。
「そうだ葵。風邪は愛おしい人の口付けで治ると言うよ」
「はい? なんかちょっと意味が違う気がするんだけど……」
でも、それで本当に元気になるのなら。
私はもじもじして、頭を抱えて、色んな葛藤と戦った後、大旦那様に……
大旦那様の額に、そっとキスしたのだった。
「これが限界よ、大旦那様」
へなへなとその場に溶ける私。この一瞬は、きっと私の方が熱高いと思う。
「あははっ。葵は恥ずかしがり屋でかわいいなあ」
「あーもう。あーもう!」
「おかげでぐっすり眠れそうだ……おやすみ、葵」
そして、スヤア……と、一瞬で眠る大旦那様。
なんだこの男。全然余裕そうなんだけど。
私はいまだ恥ずかしがっているというのに……っ。
「仕方ないわよね。……生きてきた時間が違うわけだし」
私ばかりが翻弄され、気持ちを揺さぶられてばかりな事に少しモヤモヤしつつ、大旦那様の額に、新しい濡れタオルを置いた。
「おやすみ、大旦那様。早く元気になってね」
text by 友麻碧
※このショートストーリーは、2019年8月~10月に実施された『友麻碧作品3ヶ月連続刊行キャンペーン・10月刊特典「かくりよの宿飯」アフターストーリー』を再公開したものです。